AIドローンの映像を見て、戦争から人間が消えたのかを考えた

AI活用

テレビで、ロシアとウクライナの戦争について見た。

そこでは、AIを搭載したドローンが使われ、ロシア側が攻撃されている様子が紹介されていた。

正直に言えば、最初に感じたのは技術のすごさだった。

人が乗っていない機体が飛び、遠く離れた場所に向かっていく。
カメラで目標をとらえ、通信が妨害されても、最後は自律的に向かっていく。

戦争の映像として見ているはずなのに、どこか技術紹介のようにも見えてしまう。

けれど、その映像を見ながら、ふと思った。

昔の日本は、ここに本当の人間を乗せて飛ばしていたのだと。

昔の日本は、そこに人を乗せていた

第二次世界大戦末期の特攻を思うと、今なら機械が担っているような役割を、人間が命ごと担わされていたことになる。

もちろん、時代も技術も状況も違う。
AIドローンと特攻を、単純に同じものとして並べることはできない。

それでも、人間が爆弾を積んだ機体に乗り、帰ってこない前提で飛ぶということが、どれほど異常なことだったのか。
AIドローンの映像を見たことで、逆にその重さを感じた。

今は、人間が乗らなくても機械が飛んでいく。

それは、攻撃する側の兵士の命を守る技術なのかもしれない。
少なくとも、機体に人を乗せて突っ込ませるよりは、人間の犠牲を減らしているようにも見える。

しかし、それで戦争が軽くなったわけではない。

着弾する先には、人の生活がある

ドローンに人が乗っていないだけで、着弾する先には必ず人の生活がある。

兵士がいる。
整備する人がいる。
近くで働く人がいる。
道路があり、工場があり、家があり、病院があり、学校がある。

そこには、昨日まで普通に暮らしていた人がいるかもしれない。

画面越しに見ると、ドローンは小さな点に見える。
爆発も一瞬の光に見える。
遠くの国の出来事として見ていると、戦争がどこか現実から離れていく。

けれど、爆発は映像の中だけで起きているわけではない。

そこには、壊れる生活がある。

今回、ロシアとウクライナの戦争について考えようとしたとき、最初は「どちらが勝ちで、どちらが負けなのか」が気になった。

ロシアが何を目的としているのか。
ウクライナにとっての勝利とは何なのか。
アメリカやヨーロッパ、日本はどの程度関わっているのか。
支援という言葉の裏に、それぞれの国益はないのか。

そういうことを知りたいと思った。

ただ、調べたり考えたりしていくうちに、簡単に「こちらが正しい」「こちらが悪い」と書くことには慎重でありたいと思った。

事実と主張と印象を分けて見たい

日本のメディアでは、ロシアが悪者として描かれているように感じる場面が多い。

もちろん、ロシアによる侵攻や民間人被害など、国際的にも確認されている事実はある。
そこを無視することはできない。

一方で、自分たちが見ているニュースが、戦争のすべてを伝えているわけでもない。

戦争中は、どちらの国も自分たちに有利な情報を出す。
映像も、発表も、言葉も、必ず何らかの立場を持っている。

だからこそ、事実と主張と印象を分けて見ないといけないのだと思う。

報道を疑うことと、事実を無視することは違う。
反対に、報道を見てすぐにすべてをわかった気になることも危うい。

どちらが正しいかを急いで決める前に、自分が何を見て、何を見ていないのかを考える必要があるのだと思った。

ウクライナの前線は、約1,200kmにも及ぶと言われている。
日本に置き換えると、日本列島を大きく横断するほどの長さになる。

そう考えると、これは一つの町や一つの戦場の話ではない。
とてつもなく広い範囲で、人の生活のすぐそばに戦争がある。

それでも、ウクライナ国内にも、ロシア国内にも、日常生活を送っている人はいる。

仕事に行き、学校に通い、買い物をし、食事をする人がいる。

ただし、それは日本でいう平常とは違う。

空襲警報、徴兵、物価上昇、制裁、停電、ドローン攻撃。
そうしたものが、日常の横にある。

戦争中の国と聞くと、国全体が常に前線のようになっていると思ってしまう。
でも実際には、日常が残っている場所もある。
そして、その日常がいつ壊れるかわからない場所もある。

人間は消えたのではなく、見えにくくなった

このことを考えると、AIドローンの映像は、ただの兵器の進化として見るだけでは足りない。

人が乗らなくなった。
遠くから操作できるようになった。
AIが補助するようになった。
命令する人と、操る人と、着弾する場所の距離がどんどん離れていく。

その結果、戦争から人間が消えたように見える。

でも、本当に消えたのだろうか。

私は、消えたのではなく、見えにくい場所へ移動しただけなのではないかと思う。

昔は、人間が機体に乗っていた。
今は、人間は画面の外にいる。

命令する人がいる。
作る人がいる。
操る人がいる。
判断する人がいる。
そして、着弾する先にも人がいる。

AIが判断した。
ドローンが自律的に飛んだ。

そういう言い方をすると、人間の責任までぼやけてしまうように感じる。

けれど、AIが勝手に戦争を始めたわけではない。
AIを作る人がいて、使うと決める人がいて、攻撃を命じる人がいる。

技術が進んでも、責任まで機械に預けていいわけではない。

映像の向こう側を忘れない

AIドローンは、攻撃する側の人間を戦場から遠ざけたのかもしれない。
しかし、戦争から人間が消えたわけではない。

むしろ、人間の姿が見えにくくなった分だけ、私たちは意識して見ようとしなければいけないのだと思う。

画面に映るのは、飛んでいくドローンかもしれない。
映るのは、爆発の瞬間かもしれない。

けれど、その先には必ず人の生活がある。

技術が進んだことで、戦争は冷たく、正確で、効率的に見えるようになった。
でも、戦争そのものが軽くなったわけではない。

AIドローンの映像を見て、私は現代の戦争の進化を感じた。
同時に、昔の日本が人を乗せて飛ばしていたことの異常さも感じた。

そして何より、どれだけ技術が変わっても、戦争の先にあるのは人の生活なのだと思った。

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